立会川 ボラちゃん大フィーバー 2003
1.
東京のある小さな川に、ボラの大群がやってきた。
ふつうなら、ボラがいる川なんて驚きもしない。だが、この川は、違った。
その川は、水源がなかった。上流は、高度経済成長時代、下水道幹線として暗渠化された。水源のない川は、海の潮水が干潮ととともに行ったり来たりするだけの、典型的な「感潮河川」。
そこに流れ込む下水は、海に流れることは、なかった。
行き場のない腐った水が行ったり来たりするだけ。 「死んだ川」 「ドブ」 「臭い」 「早くフタをしてしまえ」 と悪口を、言われた。
その名は、立会川。生物のいない川は、住民から見捨てられ、邪魔者扱いされていた。
この物語は、死んだ川「立会川」をよみがえらせるために闘った者たちの、ドラマである。

立会川の上流のうち大井町駅付近は「立会道路」として遊歩道化されている。

川の流れそのままに、緩やかな曲線を描く。

フェンスの先から「立会川」が始まる。
2.
その川をよみがえらせるため、ある企業が名乗りを上げた。その名は、JR東日本。
JR東日本の総武線地下トンネル。このトンネルにわき出る大量の地下水は、悩みの種だった。その水は、ただ、そのまま下水に捨てていた。その下水道料金、年間、5億円。
この地下水、調べてみると、塩分が混じっているが、抜群に、きれいだった。
「この水を、立会川の水源に使えないか」。「きっと、川はよみがえる」。
担当者は、膝を叩いた。
さっそく、担当者は、東京都に、出向いた。
「流すのは構わない。でも費用は、JRで全額負担してもらいます」。反応は、厳しかった。
「そんなバカな」。担当者は、絶句した。
「ちょっとまて、とにかくコストを下げろ。」「長い目で見れば、必ずトクだ。我が社にも、そして、川をよみがえらせるためにも」
そして突貫工事が、始まった。その費用、30億円。6年で、モトがとれる。
総武快速線地下トンネルの最深部、馬喰町から延々12キロ。青い太いパイプが、伸びてきた。そして、完成した。

駅ホームに湧く地下水。赤いのは赤土成分が沈殿しているため。

新日本橋駅。壁面に青いパイプが走る。
いわば立会川の「動脈」。

電車が走る脇にパイプを据え付ける。

その先は、真っ暗なトンネルへ。そして一路立会川へ。

東京駅のホームでも、青いパイプを見ることが出来る。

品川から先は、東海道線の脇を通る。

青いパイプは、ここでいったん地下へもぐる。
3.
2002年7月7日。七夕。
立会川月見橋脇に、多数の見物人が集まった。人々の目は、立会川の先に、注がれていた。
「3,2,1,0!」。ボタンが押されると同時に、大きな音を立てて、水が、勢いよく出てきた。
新しい、新鮮な水。何十年ぶりかで、立会川が水源を取り戻した、瞬間だった。立会川の隅々まで、血が流れるように、しみていった。

月見橋下で、立会川に注ぐ地下水。

この地下水導水事業の看板。
4.
そして、それから半年。2003年1月30日。
再び、立会川に、人々が集まった。大量のボラが立会川を、上ってきたのを見るために。
住人に見捨てられ、忘れられていた「立会川」。生物が、人々が、その存在を、確かめた。
その人々の喜びは「ぼらちゃん」という言葉まで、生んだ。
やっぱりここになくてはならない川「立会川」として、生まれ変わった。人々が集まる川に、変わった。

見物人が絶えることはない。

橋の欄干に立て看板が立った。






5.
今日も、月見橋には、JRのトンネルから水が、流れ込む。
そこにボラを求めて、鵜が、やってきた。
「めずらしいー」「たーべーなーいーでー」。子どもたちの声が、川面に響く。鵜は、逃げた。
その川の命の源として、地下水は、静かに流れている。

遠くの高架を京浜急行が走る。

きれいになれば、すごく趣があると思う。

川の脇に、子どもたちが書いた「ゴミを捨てないで」のポスターが。大人たちはこの間、何をしてきたのだろう。

ボラを狙って鵜がやってきた。
(この話は、事実に基づくフィクションです)





