蒲田駅前のモヤイ像はいまどこに?
蒲田駅東口駅前広場に「モヤイ像」という大きな石像があるのをご存じだろうか。毎日、通り過ぎる人をじっと静かに見つめる「モヤイ像」。この像は、何のためにここにあるのだろうか。
「モヤイ」と聞くとイースター島の「モアイ像」を思い浮かべる方もいるかもしれないが、さにあらずで、残念ながらこの二つはれっきとした別物である。この「モヤイ」は、昭和59年に、なんと伊豆諸島新島村から寄贈されたものである。新島では、ここと、イタリアの「シシリー島」ににしかないといわれる「抗火石(コーガイシ)」という世界的にもたいへん珍しい石が産出される。軽くて、彫刻刀で自由に掘り出すことが出来る。この特産の石を利用して、イースター島の「モアイ」をヒントに、像を彫り、観光のPRに一役買ってもらおうと、昭和50年代に、新島から日本各地へ寄贈された石像のうちの1体なのである。蒲田駅のほかにも、渋谷駅南口や、竹芝桟橋内「ニューピア竹芝」の広場にあったりする。
ちなみに「モヤイ」とは新島の現地の言葉で「力を合わせる」とか「助け合う」「共同作業をする」という、尊い言葉。このモヤイ像、その言葉の由来と男女一対て贈られるということから、いつしか「縁結び」の意味を持つようになり、カップルにも人気となっている。
これだけでは何にも面白くないので、もう少し話を掘り下げよう。
私が幼い頃、蒲田駅東口には、確か1対(2体)の「モヤイ像」が置いてあった。しかし、いつの間にか1体が消えて、置かれているのは1体だけになってしまっていた。幼い頃の記憶だから当時の記憶違いかと思っていたが、よく調べるとやはり、寄贈当時は1対(2体)のモヤイ像が置かれていたのであった。
では、もう1体はどこへ行ってしまったのだろうか?
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| <道路側> いまも蒲田駅前にいる「モヤイ像」。新島の心を伝える。 <広場側> | |
蒲田駅再開発のシンボルに…と寄贈されたモヤイ像だったが、駅前広場のリニューアルで置かれた「上昇気流」というオブジェに逆に押し出される格好となってしまったのである。寄贈されたものを簡単に壊すわけにもいかず、その1体は、長らく区役所の駐車場の隅で放置されていた。
月日は流れて、1998年。あるテレビ番組が、眠っていたこの「モヤイ像」を“発掘”し、もらい手を呼びかけなんと「視聴者プレゼント」にしてしまったのである。こんなでかいもの、そうそうもらい手はないだろう…という予想を覆し、全国からなんと3000通もの応募があり、見事当選したのはなんと「青森県深浦町」。お輿入れすることになったのである。
深浦町では、「観光の目玉になる」と、町内の観光施設「WeSPa椿山(ウェスパ椿山)」に置くことにした。遠路はるばるトラックで運ばれた「モヤイ」、1999年6月28日に除幕式が行われた。まわりは一望する日本海。太平洋の南の島生まれの「モヤイ」は、今度は北の荒海に沈む夕日をバックに「縁結びの神様」としてたたずむことになった。
| 新島 「モヤイ像」 の由来
旅にはいつも“想い出”が残る。新しい風景や見知らぬ人に会いたくて旅に出る。しかしそこで待っているのは“自分自身の内側”にほかならないことを発見する。新島のモヤイ像は心の片すみに放ってある“透明な旅の日々”と同じなのではないでしょうか。 昭和五十九年六月二十四日 戦後四十年にならんとする今日、わが蒲田東口商店街も近隣の発展に伴い大田区の顔としての再開発、再整備が叫ばれて居ります。 蒲田駅東口商店街商業協同組合 |





