「平和島」の由来
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うらぶれた響きの「学校裏」駅が「平和島」駅に改称されたのは、昭和36年9月1日のことだ。もちろん、平和島という島が、近くにあるからなのだが、その「平和島」は昔からあったのかというと、実はそうではない。
「平和島」と呼ぶようになった背景を含め、ご紹介したいと思う。
「平和島」は、ギャンブル好きの方なら言わずもがなの競艇のメッカ。都内からのアクセスも抜群のため訪れる人も多い。また、クルマ好きの方も首都高への出入口として、またラジオの交通情報などでも耳にする名前だ。また、昔の人なら「平和島温泉」、最近の方なら「クアリゾート」のある土地として、案外名前だけは、広く知られている。
この「平和島」の名前の由来について、大森第二小学校百十周年記念誌「戦争と大森」では、次のように述べている。
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平 和 島 平和島は、昭和十四年ごろからうめたてられた、人工の島です。 大森第二小学校百十周年記念誌「戦争と大森」P.73より引用 |
この捕虜収容所は、昭和17年9月に「東京捕虜収容所」の一つとして開設されている。後の平和島のほかにも、天王洲付近にもあったようである。大森の旧市街は焼夷弾の爆撃で焼け野原となったが、この捕虜収容所は狙われず、衣類や食料を落として行った。
戦後、一転して戦犯の収容所となり、A級戦犯東条英機を含む閣僚、将官ら48名が、刑が確定し巣鴨刑務所に移送されるまで収容されていたのである。
そのような戦争の象徴であった島を、地元の人は「平和島」と呼ぶようになった。昭和35年には、平和島温泉(当時)の脇に、平和観音が建立され、平和への誓いを新たにしている。
| 当時の平和島の様子は、国土交通省国土地理院「空中写真閲覧サービス」中の「1946〜1948年撮影
(白黒,撮影縮尺約1/10,000)」、「東京西南部」の「38番」に、昭和22年にアメリカ軍が撮影したとされる大森付近の航空写真に、ただ唯一、鮮明に映し出されている。
以下は国土地理院「空中閲覧サービス」へのリンクです。 撮影作業名 (地区): USA10kKT (東京), コース: M376, 番号: 38 撮影機関: 米軍, 撮影日: 1947/7/24, 形式: 白黒, 撮影高度: 1,524m, 撮影縮尺: 1/9,950 当時の平和島は、勝島の南にある、ごく小さく細長い包丁形の島がそれ。 |
昭和26年にモーターボート競争法が公布されたことに伴い、平和島がその適地として着目され、大森海岸の海水浴場を含む営業権、昭和28年には隣接地の埋立権を現京急開発(株)が獲得し、競艇場(29年6月初競争)はもとより、平和島温泉(32年6月)、ボウリング場(39年12月)・平和島大飯店(44年10月)と矢継ぎ早に開業し、一大レジャー拠点としての地位を築くことになる。
なお、平和島温泉はボーリングの結果わき出た正真正銘の本物の温泉(強塩泉)である。
一方、平和島の南側は、首都高速・環状7号線沿いという立地の良さから主に倉庫街となった。その核として物流ビル・総合展示場として「東京流通センター」が昭和46年開設された。また、昭和39年開業の東京モノレールでは中間駅として「新平和島」駅を昭和44年12月に開設、昭和47年1月に「流通センター」と改称している。
その後、平成元年11月には「平和島温泉」をリニューアル、流行のクアハウスを取り入れた「クアリゾート平和島」、平成14年7月にはシネコン・ディスカウントスーパーなど多業態施設「ビッグファン平和島」となっている。最近ではロックバンド「B-DASH」結成当時の幻の曲の曲名としてにわかに脚光を浴びている。
なお、平和島は平和島運河を埋め立てて公園(平和の森公園)が造成されたため、昭和57年には地続きとなり「島」ではなくなった。

平和観音

平和観音は、競艇場入口突き当たり右側に建立されている。

平和観音由来記
昭和三十五年七月十七日建立
長沼 孝三 作
人類最高の希いは「平和」であります。そして平和を祈り念ずる心が宇宙の慈悲をもとめます。地上永遠の平和を祈り続ける為に平和観音の建立を思いたったゆえんが此處にあります。
観音さまは人類の誠のねがいをきいて、いちばんよい方法でおすくい下さる佛さまであります。佛さまとは宇宙不変の理をあがめたお姿であり、その理をさとって大きな力を得た方の呼び名であります。
佛さまのなかで観音さまは災禍に苦しむ人々に宇宙の慈悲を示してすくいの手だてをとって下さる菩薩であります。平和観音像が建立された平和島はさきの大戦中相手国の俘虜収容所があった處、戦後はわが国戦犯が苦難の日々を送った請わば「戦争と平和」の因縁の地であります。大慈悲の御姿を建立して、地上変わることなき平和を念ずる一人一人の小さなまごころからの祈願をみのらせ給え。
大森第二小学校百十周年記念誌「戦争と大森」P.73
「学校裏から始まった」西村 敏康著 P.194-196 他を参考にしました。





